3月下旬広島に行く。負の世界遺産、原爆ドーム。もちろん、残すことは大事だと思うが、67年の歳月がたとうとするなか、後世に伝える方法を何か模索すべきではないか?などと思った。圧倒的な悲劇を前にしては、何をやっても不謹慎に思えるのかなぁ。どんなにゆるキャラが流行っても、ドームちゃんは出てこないものね。でも、考えてみようかな。CGならできるかも。
広島へは、仕事がらみで何度か訪れているのだが、久々の資料館。被爆前後の精密なジオラマ。こんな風に並んではいないが、並べて見たいと思い、撮影しておいたものを合成・加工。ここに、建物よりも遥かにもろい多くの人間がいた。やはり、どう考えても度が過ぎた仕打ちだ。これが、半径数kmに渡る。たった一人の科学者のアイディアが、雪だるまが転げ落ちるように膨らんで、誰にも止められない形になって、ここまで来てしまう。このことに関して過ちを犯したのは、アメリカ合衆国であることは明白だ。だからといって、平和記念公園の慰霊碑にある「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という言葉を「させませぬから」と書き直すべきではないか?とも思わない方が良いかもしれない。本当は、書かないほうが良いと思う。「過ちって、誰の?みんなの?でも、それってアメリカ人は、ほとんど思っていないから、日本人だけじゃない。日本だけが過ちを犯したってわけじゃないのに、自分たちのせいだと引き受けすぎなんじゃない?」などと余計な事を考えてしまうからだ。心情的になんかグッとくるのはわかる。小学生の頃にそう思ったから。グッと来る分、鵜呑みにしてしまう。だから、良くないと思う。
更に余計なことを考えて、「例え、日本が核兵器を保持することがあっても、使ったりはしません」と読めば、核兵器をただ心情的に毛嫌いするのではなくて、ちゃんと議論するって方向に行くように思うので、このままの文章で行くのが良いかもしれない。まずは、憲法を改正した後に。明らかに軍隊である自衛隊を誤魔化したりするから(それだけじゃないけど)すべてが回りくどく、ややこしい。それが、閉塞感の元凶なんだ。
資料館の入り口付近に設置されている地球平和監視時計。ネーミングは、いかがなものかとは思う。ずーっと、平和ではないから。しかし、先ほど67年の歳月と書いたその時間が、たったの24342日だと示されると、不思議に現実味を帯びて感じられる。あくまで、個人的な感覚ではあるのだが、あの日(と言っても本当は知らないのだが)から毎日、1円ずつ貯金して24342円。10円で、243420円。円を人に変えると、あの日から、毎日欠かさず5人殺害してやっと121710人。それが一瞬。それ以上のことが、その一日に行われた。貯金と比較するなど、子供じみているかも知れないが、それで何かが伝わるのであれば、意味がある。
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